藤ノ木古墳の謎

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藤ノ木古墳は、我が家から徒歩約35分。昔、ゴルフの練習で近くを通っていた頃は、ただの小高い草叢でしたが、1985年の発掘以来、急に注目され始めました。
さて藤ノ木古墳の謎とは?


NHKカルチャーセンターに「藤ノ木古墳の被葬者をめぐって」という講座を見つけたので、大阪の梅田まで聞きに出かけました。
講師は、玉城一枝という女性の先生でした。

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先ず、藤ノ木古墳とは
法隆寺の西300メートルほどの所にあり、古墳時代後期(6世紀後半)に作られた円墳です。作られたのは法隆寺より前。仏教導入の是非をめぐって蘇我氏が物部氏を打ち破った頃。
この時代には、既に前方後円墳は流行らなくなっていました。

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(*)よく見ると鞍の右に小さく象が描かれています。外国で作られたものと思われます。

この古墳の珍しい点は、全く盗掘されず金色に輝く馬具やら装飾品やらが埋葬当時のまま残されていた事です。中には真っ赤な石棺があり、その蓋も開けられた形跡がなく、副葬品と一緒に2体の人骨が残っていたのです。

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(写真右が北側、下が頭部)
2体の人骨の内、北側の人骨は、そっくり全部が残っており20才前後で最高位の身分の男性である事は間違いないのですが、南側の被葬者は足骨(つま先から踵骨)しか残っていない為、その性別をめぐって論争のタネとなる訳なのです。


この講義は、聞けば聞くほど面白い
現在、藤ノ木古墳の被葬者は、男性2人というのが定説となっているようですが、玉城先生は、これに対して真っ向から反論をしているのです。

男性2人説」を強く唱えている学者の代表は、京都大学名誉教授の片山一道氏ですが、どうやらこの論争は、人類学者 vs 考古学者のガチの対決のようなのです。

玉城先生曰くには、
「人類学者が男性2人と言えば、考古学者は何も言えなくなります。人類学は科学的で、考古学は状況証拠でしょう。と言われますから」

「しかし男性2人説も、片山先生の個人的な見解であり、よく検証してみると科学的でも何でもないんです。絶対に女性説も排除すべきではない。」

「藤ノ木古墳は『男性2体同棺合葬』でなく、『男性と性別不明の成人の合葬』として扱うことが、学問的には正しい」
との意見でした。

玉城氏が女性説を唱える理由。
・南側の被葬者のみ、手玉と足玉を付けている。日本中の古墳を調べ、埴輪を調べても男性で手玉、足玉を付けた事例は見当たらない。

・くり抜き式家形石棺というのは、当時の東アジアでは最高級のものであり、このような石棺で男性2体を合葬した事例は見当たらない。

片山氏の主張1.~3.に対する玉城氏の検証
1. 南側被葬者の身長は、161.3~172.3cmで、女性ではありえない高身長
反論
先ず、計算ミスがあり、正しくは155.5~177.7cmである。
この計算は、ポルトガル母集団の標本から得られた身長推算式の算出結果であるが、古墳時代の人骨に対し、現代外国人の標本から得られた身長推算式を、用いるのは大きな問題である。

2. 距骨で91.9%、踵骨で99.9%の確率で男性骨である。
*距骨=かかと付近にある足根骨の一つ
*踵骨=足根骨のうち最も大きい骨
反論
これは、近畿現代人(男性の平均身長155.8cm)のデータから導いたとされる性判別関数式に当てはめた場合の確率であるというが、算出に用いたデータや関数式という肝心な部分が公表されておらず検証ができない。検証できなければ学問的とは言えない。

3.足根骨(距骨と踵骨)は、形質学的にみて男性度が高い。
反論
複数の医学関係者(氏名公表2名、匿名2名)に個別の意見を聞いたところ、
「一般的には男性度が高いようにも見えるが、足の骨の形成には、その人の足の使い方や生活様式・習慣が大きく影響する。情報が不足する中で、足の骨のみで行う性判定には限界がある。」
「南側被葬者の骨の遺りが著しく悪い原因として骨密度の性差が推測され、南側の被葬が女性の可能性も考えられる」
などの意見が聞かれた。

玉城氏の主張に対する私の疑問点
Q:南側の被葬者が女性なら、脇に刀があるのは何故?
 A:被葬者が身に付けているものは、その人自身のものであるが、脇に置かれているものは、その人の階級を表すものだったり、何かをデフォルメした物だったりします。
刀については、同様の例が他の埴輪にもあります。刀には魔除けの意味があります。

Q:当時の日本人の身長は、どのくらいだったのか?
 A:江戸時代の日本人は小さかったのですが、古墳時代の日本人は肉も食べていたので大きいのです。
   玉城氏の推定だと南側の被葬者は、歯牙の細片や耳環の出土状況、頭部の位置、よく遺った距骨から総合的にみて159cm程度だという。

Q:男性2人なら戦争で死んだとも考えられるが、男女同時に亡くなったのは何故?
 A:殉死の風習がありました。装身具などから見ても北側の人物の方が、明らかに地位が高いです。

Q:遺伝子解析をやってY染色体の有無を調べたら分かるのではないか?
 A:出土品の多くは、国宝に指定されており、骨のDNA鑑定をするには、非常に敷居が高い。

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藤ノ木古墳の南200メートル南に「斑鳩文化財センター」を訪ねました

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外には、赤い石棺の見本が置いてありました。
本物の石棺は、二上山の凝灰岩で出来ていますが、石棺を開く際には損傷したりしないように、類似の石で同じサイズの見本を作って、慎重にシミュレーションしたそうです。

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石室の中を再現してありました。

斑鳩文化財センターの人の説明

・このセンターに片山先生が講演に来られて、「女性説が一人歩きしているが、絶対男性だ!」
と強く断言しておられました。
・南側の被葬者は、北側の人より年上と言われています。
・藤ノ木古墳の中には、灯明の芯が残っていて、江戸末期に人が入った形跡がありました。

Q:人が入っているのに盗掘されていなかったのは何故?
 A:江戸末期には、この場所に寺があってその尼さんが弔いをしていたのではないか。その尼さんは火事があって亡くなったようです。

(*)ウィキペディア情報だと、北側の人物は、聖徳太子の叔父で、皇位を望み物部守屋と結託したが、587年、蘇我馬子に殺された穴穂部皇子(あなほべのみこ)だろうという説があるらしい。南側については諸説あり。

結論
南側の被葬者については、男性か女性か私には分かりませんが、人類学と考古学の間で対立する局面があるということには、興味を持ちました。
(人類学の中にも形質人類学と分子人類学という二派あるようだし、学者の世界も大変そうです)

DNA鑑定すれば、明確になるのに何故それを妨げるのか?
他の古墳にしても、宮内庁が学者の立ち入りを許さないというが、何故なのか?

ちょっと扱いを変えれば、いずれの学問に於いても、真理の追究が格段に進むと思うのに惜しい気がします。

この記事へのコメント

2019年06月01日 22:50
6世紀後半当時の 斑鳩を知るうえで
重要な 古墳が 無傷で発掘されれば
学者さんにとっては 貴重な宝物ですが
私個人としては 古代の人の魂が
眠っているのですから そっとして
おいて欲しいと思っています。
2019年06月02日 05:15
 お近くに古墳があるのも古代のロマンの地ということで、良いところにお住まいですね。
 古墳からの出土品も盗掘されずにそっくりそのまま残っていた、というのも貴重で、いろいろ研究がすすめば当時のことが分かってくるのでしょうが、制約があるのもタイヘンですねえ。
2019年06月02日 05:18
ふらばーばさん、確かにそうですね。古代人がひっそりと眠っているのに学問的な興味からズカズカと踏み込んで、DNA鑑定するなどという事は、罰当たりかも知れませんね。あまりに珍しい事例なので、ついそんな視点を忘れていました。江戸末期に中に入った尼さんもそういう気持ちで弔いをしていたのかも知れませんね。
その尼さんは、火事で亡くなったそうですが、弔いをしていたにしろ、古墳の中に入った事に対する古代人の怒りだったのかも知れません。古墳は神聖なものなんですよね。いろいろ考えてしまいました。
2019年06月02日 05:29
奈良には古墳が多いです。新婚当時に住んでいた家の庭に隣接したところに米目皇子(用明天皇の代4皇子)の古墳があって宮内庁の管理下にありました。
古墳は皆、宮内庁の管轄下にあるので、学者は入れず、墓誌が無い場合の被葬者は、想像で当てはめるしかない。「○○天皇の墓」と言っても、本当にそうかは分かりません。殆どは幕末か明治あたりで判断したもので、その後の学問の進歩によって、間違いもあるのではないかと思います。もし学者達が入って被葬者を究明し始めたら、玉突き状態で被葬者の書き換えが必要になるのではと思っています。分からないことも古代のロマンでしょうし、そっとしておくのも有りかも知れません。
2019年06月02日 06:46
おはようございます‼
古代のロマンス、何事も解明したい、宮内庁の姿勢、
何れも正しいのでしょう。
歴史的人間と考古的人間がこの世の中に居るのですからこの論争は無くならないでしょうね。
私は何方か言うと解明したい方ですね。
2019年06月02日 07:04
おはようございます。以前の家からは30分でいけていましたが、いまはとおくなりました。
そちらは宮内庁管轄で昔から中へははいれず、調べるのがむつかしいとか言われてますね。私がそちらにいたころからの悲願がやっとかなっても、色々な問題がありそうですが、今は波にのってきているようですね。私は3年前にそちらの狭山池の人柱の伝説研究にも参加しました。なつかいし所です。
2019年06月02日 08:22
いつもながら私のブログと違って、学術的、探究的なブログで感心しています。
藤ノ木古墳については全く知りませんが、勉強させていただきました。おかげで概略ですが、解かったような気がしています。
2019年06月02日 09:01
私は、今年からシニアカレッジで世界史を学び直していますが、エジプト文明などをみると5000年も前の歴史が、明らかになっているわけです。日本の場合は6世紀後半でも誰の陵墓かはっきりしない。これはちょっと残念ですよね。やはり文字の発明というのが、いかに大きいかということを痛感させられます。
2019年06月02日 09:04
秋月夕香さんは、以前は奈良にお住まいだったのですか。ごく近くにおられたのですね。
藤ノ木古墳については、今後の研究がどうなるのか、ずっと平行線のままかも知れませんが、興味をもって見守りたいと思います。
狭山池の人柱の伝説とは、どんなものでしょうか、怖い気もしますが、興味ありますねえ。
2019年06月02日 09:08
学術的、探究的ブログと言われると恥ずかしい限りですが、奈良へ引っ越してから、いろんなことに興味をもったような訳でして、分からないことばかりです。
稚拙なブログにお立ち寄りいただいてありがとうございました。また時々覗いていただければ嬉しいです。
2019年06月02日 21:53
学問の上で説が対立する
というのは興味深い事ですね。
男性か女性かも謎ではありますが、
一体は足だけというのも
謎ですね~。。。
2019年06月03日 08:58
一体が足だけというのは、不思議ですよね。
北側の人物については、あるべき骨が全部揃っているのにです。石棺を開けて何か人の手が加わったという事はないそうです。何故なら石棺の外側に朱を塗っているのですが、蓋のところに刷毛の跡のズレが全くないからだと。南側の骨が殆ど遺っていないのは、骨密度が低くかったのではないかという話もあるようです。骨密度は女性の方が低いので、女性の可能性も排除できないという事にもなりますが。よく分かりませんねえ。
2019年06月03日 10:31
おはようございます。お返事もためらうほどやはり、書きにくい内容ですが・・・。
1400年前の人工的に作った池の初めてのため池といわれていますが、中には石棺もしずめてあり、石棺の再利用ともいわれています。その中で罪人をいきたまま人柱にたてるという本当の事もあったそうです。残酷ですね。(すみません)
でも世界中にあるという事です。
2019年06月03日 11:13
狭山池の人柱の伝説のことですね。
怖い話です。世界中でこの類の話があって昔は随分とひどいことをやったものですねえ。日本の古墳時代の殉死もそうですね。もっとも殉死については、「死生観」が今とは違っていたのかも知れませんが。
主君とともに次の世界へ旅立つという気持ちだったのかも知れない。
2019年06月03日 14:54
興味深く拝見させて頂きました。
考古学と人類学の見識の違いと言うのも
興味深いですね~。。
何事も立場が違えば見方が変わって来ると言う事でしょうか。
でもDNAの解析が確立された現代なのに
そのDNAを使った研究が出来ないと言うのは
残念ですよね~^^;
2019年06月03日 17:15
コメントありがとうございます。
人類学と考古学の見解の違いというのは、私も大変興味深かったです。学会同士の力関係なんかもあるみたいですよ。先日テレビドラマで「白い巨塔」を観ましたが、大学教授の世界も研究だけではなく、政治力も必要みたいですね。今回話を聞いたところでは、考古学はとても地味で、泥臭くて、根気のいる仕事のようです。表舞台に出る機会はなく、黙々と土を掘ったりするのが仕事。本当に好きな人しか務まらない感じ。そんな印象を持ちました。考古学 vs 人類学、行司役のDNA鑑定が使えないとすると、当分は平行線かなあ・・・
2019年06月04日 00:14
皇室やそれに関連する可能性のある事象の科学的な分析・調査をすると、日本神道の根底が揺らぐ可能性がありますからねぇ・・・
まぁ、日本の歴史のロマンとして、ボカしたままにしておくのも面白いかも知れません。
2019年06月04日 09:02
「日本神道の根底が揺らぐ」。
なるほど、そういう事情もあるのかも知れませんね。
歴史のロマンとしてボカしておいた方が、世の中が平穏かも知れません。
今回の藤ノ木古墳の件では、いろいろ勉強になりました。当時の日本人が思ったより背が高かったのは意外でした。あの当時は朝鮮半島やら中国、更にはインド、中近東あたりまでの文化の影響も受けているし、血も混じっていたんじゃないでしょうかね。
被葬者の謎は解けませんが、マクロ的に大まかな当時の動向は何となくわかる気もします。
2019年06月04日 11:27
古墳時代後期の古墳が
全く盗掘されず金色に輝く馬具やら装飾品が
埋葬当時のまま残されていたとは貴重な宝ですね。
真っ赤な石棺も蓋も開けられていなかったとは驚きです。
2019年06月04日 12:58
珍しいでしょう。貴重な古墳だと思います。東アジアからも注目されているようです。盗掘されなかったのは、尼さんが守っていたからだと思います。この古墳によって、いろんな事が明らかになったようですよ。
2019年06月04日 20:57
こんばんは~
藤ノ木古墳、有名で名前は
知っていましたが、
埋葬当時のまま残されていたとは
最後の方に書かれておられますが、
見守っている方がおられたのでしょうね。
歴史学者の方も色々な意見があって
論じ合う事も大切なのでしょうね。
いつもありがとうございます。
2019年06月04日 21:16
コメント有難うございます。
藤ノ木古墳は、私の若い頃はただの小高い草叢でした。
学者の間でも当初は、古墳時代中期のものでしょという感じで、大した期待も注目もされていなかったらしいです。私も近くに住んでいながら、大して興味もなかったのですが、今回NHK講座を聞きに行って被葬者の謎という点に急に興味を持った次第です。
とにかく奈良には古墳は多いのですが、例外なく盗掘されていますので、6世紀後半の古墳が無傷で、石棺も開けられていない状態というのは、本当に学術的に貴重なのだと思います。東アジア全体としても珍しいので、注目されているそうです。