「韓国併合への道(呉善花著;文藝春秋)」(その1)

日韓併合への道.jpg

韓国によるGSOMIA破棄の報道で、日韓関係はますます泥沼化の様相を呈してきました。
そもそも韓国が、常に持ち出す「日韓併合」とは、どういう経緯でなされたものなのか。
呉善花さんの著書を基に、整理してみました。

■概要
朝鮮は、1392年から李氏が治める王朝国家であったが、李朝以前の高麗時代から唐・元・明・清の中国の冊封を受けて、その臣下となっていた。

1895年、日清戦争の日本勝利により清から独立し、1897年には国名を「大韓帝国」と改めたが、実態はずっと李王朝のまま。政治権力を両班と言われるわずかな高級文管が独占し、彼らのいずれもが世襲で、常に権力争いに明け暮れていた。

第26代高宗の父である大院君と、高宗の妃・閔氏は、それぞれに勢力を持ち、ことある毎に覇を競い合って朝鮮の近代化の阻害要因となり政治を混乱させている。

李王朝は文人優位だった為に、人口1300万人に対して、兵力は僅かに2千数百名と、軍事力が驚く程に脆弱で、自国による国土防衛は夢のまた夢。有事ともなれば、その時々の形勢次第で、清、日本、ロシア等、周辺大国に頼らざるを得ない状況であった。

■併合前の朝鮮は、どんな様子だったのか?
米朝鮮史家グレゴリー・ヘンダーソンによれば、日韓併合前の状態は、まさに存亡の極みにあったという。
・経済的破綻と崩壊の寸前。
・軍事力は殆どなし。
・政権の分裂と内紛。
・行政はマヒ状態。
・慢性的百姓一揆。

■日本は、朝鮮半島情勢を、どう見ていたのか?
ロシアの軍事力の脅威が、どんどん増しており、ロシアの南下は時間の問題。
その強大さは、清国や日本はもはや敵ではない程である。

日本は、朝鮮も富国強兵を急がなければ、瞬く間にロシアの支配下におかれ、日本も窮地に立たされるにちがいない。

朝鮮は、たとえ武力をもってしても強引に開国させ、政治・経済・軍事の近代化を進める必要があるという認識を持っていた。

■日韓併合までの経緯
1863年に第25代哲宗が崩御すると、第26代に高宗(11才)が立ち、その父の大院君が実権を握った。大院君の復古的専制主義の治政は、朝鮮の近代化の遅れを決定的なものとし、朝鮮を世界から孤立させる結果となった。

1873年に大院君が失脚すると高宗の妃となった閔妃が、これまでの大院君の強固な鎖国攘夷主義を否定し、1876年日朝修好条規を締結した。

閔氏政権は、官制、軍制の改革を行ったが、要職は全て閔氏一族が独占し、浪費・汚職・過酷な税の取り立てなど、政権は腐敗しきっていた。

1882年(M15)壬午の軍乱が発生。処遇に不満を持つ古兵が下層市民をも巻き込んで暴動を起こし、閔氏政権は倒れ、大院君が政権を掌握した。
大院君は、閔氏政権の行った開化政策を全て廃して、復古的政策を一挙に進めようとしたが、これには日本が反発し出兵。

宗主国である清国は事を治めるには大院君を除く必要ありと判断し、大院君を清国へ連行、大院君一派を取り除いて処罰し、閔氏一族が政権に復帰した。

閔氏は、壬午の軍乱により、清国への依存を強め、巨大な中華関係を維持し、日本は頼むに足りぬという風に考えを後退させていった。

1884年(M17)日本公使館の支援のもと、金玉均がクーデターを起こし、新政府発足したが、閔氏が清国軍の出動を要請し、クーデターは失敗に終わった。

以降は、袁世凱が国王代理とでもいうほどの専制ぶりを発揮したので、閔妃は、清国の横暴振りにあいそがつき、もはや日本も頼むに足りぬと、ロシアの保護下に入るよう画策し始めた。

清国はロシアに接近する閔妃一族を牽制しようと、清国に幽閉中の大院君を帰国させ、専制君主袁世凱の強権下、いっそう厳しい清国の干渉が強まった。

1894年:東学党の乱がおきて、日清両国が朝鮮半島に出兵し、これを契機に日清戦争に発展した。

1895年:日清戦争は日本が勝利により下関条約を締結。
清国の敗北により清と朝鮮の宗属関係は破棄されて、朝鮮は独立自主の国となった。

ロシア・ドイツ・フランスによる三国干渉

独立国となった朝鮮では、親日改革派の内閣が立ち近代化に取り組んだが、三国干渉で日本が敗れた為に、ロシアに接近した閔妃派が勢力を奪還。改革派の近代化の動きが頓挫し、親ロシア派の官僚に取って代わられた。

1895年10月8日:乙未事件。日本人が王宮へ侵入し、閔妃派の悪政を排除する為に閔妃を殺害。大院君を執政として親ロシア派を排除。親日派の内閣を組閣。

親日政権による近代化には儒学者や両班が猛烈に反発し、また農民層が武装蜂起。
1996年、親露派の官僚たちが、謀って国王をロシア公使館に移した。

ロシア公使館内の新政府は、言うまでもなくロシア一辺倒へ傾斜し、ロシアの傀儡政権へと身を落としていった。

国王と政府がロシア大使館に居続けることは、国家の体面を汚すものとしてロシア公使館からの国王の還御は、政治的な立場を問わず、朝鮮国民一致の要請だった。

1897年、高宗はロシア公使館を出て国名を大韓民国と改名した。

1904年(M37)日露戦争が勃発し、1905年(M38)ポーツマス条約締結。
韓国は完全に日本の保護国となった。

1907年オランダのハーグで第2回万国平和会議に高宗が、密かに特使を派遣し、日本が韓国の主権を侵害している旨訴えようとしたが、ロシアは韓国に外交権がないと韓国人の出席を拒否。高宗は、自ら退位し、皇太子の純宗が皇帝となった。

1908年、反日義兵運動、愛国啓蒙運動が起こるが、結集力が弱く、少数の日本兵に討伐戦で鎮圧された。

1910年、日韓併合条約調印。

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この記事へのコメント

2019年08月24日 00:49
こんばんは。

GSOMIA破棄、ありえないです。
怒ってます。
2019年08月24日 13:49
GSOMIAの破棄については。

トトパパさん同様に、トランプさんも、ポンペオさんも、エスパーさんも、ビーガンさんも、ボルトンさんも、皆、起こってますよね。

今後は、米国が、どう出て来ますかねえ。注意して見ていきたいと思っています。

今朝も北朝鮮が、ミサイル打ったらしいですね。困ったもんですねえ。
2019年08月28日 11:47
こんにちは。私のような分からない者でもGSOMIAの破棄はまさかないだろうと思っていて、ビックリでした。
国内事情もあるけれど、それじゃこれから向こうの国と仲良くするの?という
・・でもきっとできないでしょう。
本当に訳の分からない対応です。
2019年08月28日 14:00
まさかと思いましたよね。
私も韓国がGSOMIAを破棄する等とは、思いもしませんでした。
政府内にも更新すべきだという人が、かなり多かったようですが、文大統領が決めたらしいですね。支持率回復のためとも言われているようですが、いずれにしろ愚かな間違った選択だったと思います。
当然、アメリカも激怒して、信頼感は致命的に失墜しましたね。
完全に孤立した韓国が、これからどこへ向かうのか。
さっぱり方向性が見えて来ません。
あくまでも日本の主張は、明確です。
2019年08月28日 15:48
こんにちわ~
少し涼しく成って来て「夏休み」は
終わりましたか?
日韓、この先どうなって行くのか。
見守っています
2019年08月28日 18:21
だいぶ涼しくなってきましたね。
暑い時は、何もする気がしなかったので、暫く休んでいました。
また気が向いたら、ブログでも書いてみようかと思っています。

韓国は、分裂して揺れていますね。
ひょっとすると、世界史的な大転換期にんるやも知れませんね。
日本にも大いに関係ある話なので、動向を注意して見ていこうと思っています。