シクラメンのかほり

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私は、ドライブする時には、小椋佳のCDを聴きながら運転することが、多いです。その中でも好きな曲と言えば、何と言っても「シクラメンのかほり」が、一番でしょう。

兎に角、レコード発売以来、賞という賞を総なめにした曲でしたからね。
この曲は、布施明が歌って大ヒットしたわけですが。

絶唱型の布施明もいいですが、私は小椋佳が自ら歌う「シクラメンのかほり」が好きですねえ。声が柔らかいし深みがある。

考えてみると小椋佳という人は、才能が溢れているんですねえ。
東大の法学部を出て、大銀行のエリートコースを歩む。その傍ら何曲も何曲も作詞・作曲を手掛け、名曲を世に出している。
銀行員1本、あるいは歌1本の道に全力投球しても実らない人が殆どなんですから、この才能は羨ましい限りです。

天は二物を与えず」なんて言いますが、ありゃ怪しいもんですね。
小汚い食堂で「きつねうどん」食べてる人も居れば、フランス料理食べながら高価なワインを飲んでいる人もいる。それが現実なんですからね。

ところで。
この「シクラメンのかほり」という曲を小椋佳自身が、あまり気に行っていないというのは、意外に知られていないかも知れない。
小椋佳の言によれば、あの歌詞はいろんな言葉を借りて繋ぎ合わせた〝まがい物″であって内心忸怩たるものがあるそうだ。

北原白秋の詩集から「清しい」という言葉をパクリ、プレスリーの「朝に見るマリーほど美しいものはない(「Mary In Tthe Morning」)」から、「・・・ものはない」をパクリ、繋ぎ合わせたのが、あの歌詞らしい。

気に入らず、長くお蔵入りしていた曲が、突然に一世風靡したもんだから、出て来ざるを得なかった。そういう事のようだ。

彼が言うには、紫色のシクラメンは無いし、シクラメンに香りはない。
それなのに敢えて「薄紫のシクラメンほど」と言い、「シクラメンのかほりむなしく揺れて」と言っているのは、「これは偽物ですよ」と歌詞の中で白状して、自分なりに若干の後ろめたさを償っているのだそうだ。(司馬遼太郎が、龍馬を竜馬に変えてフィクションだと暗に言っているようなものかな・・・)

本人はそう言いますけど、やっぱりこの歌は、名曲に違いないですよね。
私は、俳句を少しだけ齧っていますけど、やはり数十年生きて来れば、どうしてもこれまでに読んだ本や映画、歌、短歌、俳句などに何らかの形で影響を受けるのは仕方がない。やはり突き詰めれば、ある部分はどうしても借り物になっていると思うんです。

あまり拘らなくていいんじゃないですかね。これからもドライブしながら聞きたいですよ。小椋佳を。

ついでながら俳句的には、「かほり」は「かをり」が正しい。「かほり」というのは、小椋佳さんの奥さんの名前(佳穂里)との掛詞だそうです。こんな所にも彼らしい知的な〝遊び"があって面白いですねえ。

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