日本の宗教:神様仏様

伊勢神宮.jpg   飛鳥寺仏・政田マリ.jpg

私は、正月は神社に、お盆はお寺に行く。何か困ったことでもあれば「神様仏様」と祈るし、成就しなければ「神も仏もあるものか」と嘆く。
典型的な無宗教的日本人のパターンだ。

しかし、我が国では、何故こうも神と仏が“ごちゃ混ぜ”で平気でいられるのだろうか。

たいていの場合に神社の隣にはお寺がある。神棚と仏壇が並んでいても平気だ。
何故?

分かっているようで分かっていない。知っているようで知らない。
ちょっと調べて、頭の整理をしてみたいと思う。


仏教が日本に伝来したのは、6世紀半ば、欽明天皇の時代だ。仏教はインド、中国、朝鮮半島を経由して我が国に到達したが、時間をかけてインドの在来宗教や中国の道教とも折り合ってきただけあって、成熟した柔軟性を有していた。

布教に際しては、日本の土着の神々を一気に制圧しようとはせず、時間をかけて馴染みながら徐々に影響力を広げる形をとった。これを“神仏習合”という。

仏教の体系は、“仏法僧”と言って、「」、「教義」、これを広げる強力な「布教集団」から構成されている。

日本上陸に当たっては、建築・彫刻・絵画・工芸・医療などの優れた技術を伴う強力な体制で上陸しており、これを迎え撃つ我が国の土着の神々は、至って大らかに、「神々の中に仏も加えて上げよう」という姿勢であった。

布教に当たっては、時の権力のバックアップを取り付ける必要がある。

崇仏派の蘇我氏と、排仏派の物部氏の権力闘争は、蘇我氏が勝利を収め、遂には、聖徳太子の手厚い保護を取り付けることにより、仏教が国家宗教となる道が切り開かれた。

布教の拠点については、すでに存在した神社の境内に目をつけ、境内に寺を建てることにより“神宮寺”とした。

神宮寺には仏像を安置し、神社には神の象徴としての鏡・剣・玉などを祀った。これにより神社の「氏子」は「檀家」となった。

奈良時代には、仏法を保護する善なる神という意味の“護法善神”という考えを流布させた。例えば藤原氏の氏神である春日大社は興福寺を守護している守護神という訳である。

これは、一見、神が仏の上位にあるように思わせるところが“みそ”である。
この時期までは、神が仏に軒先を貸している形である。

平安時代になると、更に神と仏の関係が近くなり、“本地垂迹説”なる概念が流布される。「仏と神は一体。本来は仏であるが、仮の姿として神として現れる」ということである。

仏が神の姿でこの世に現れたものを、権(=仮の意味)に現れるという意味で、“権現”とした。例えば熊野権現や春日権現がそれである。

この考え方によると「天照大神は大日如来の化身である」となり、ここに至るや軒先を貸した筈の神が、母屋を取られた感じすらする。

千年以上にわたって習合された神仏であったが、明治政府は国家神道の立場から、明治元年に「神仏分離令」を発した。

これが民衆の間で、「廃仏毀釈」の動きとなり、一時は仏像・経巻などをいささか乱暴に破壊・焼却した場面もあった。この「廃仏毀釈」には、仏教の腐敗、堕落、因習への民衆の怒りが背景にあった。


これらの経緯から、我が国においては、長年にわたり神と仏は密接な関係を保って来ており、神社と仏閣が隣接して存在し、家々の神棚には仏壇が並んでいる、といったケースが多々見られる訳である。


何と我がヤマト民族の大らかなことか。良く言えば“おおらか”、悪く言えば“節操の無さ”。

我々のこの精神構造は、長年の歴史に裏打ちされDNAとして英々と引継がれてきたものなのである。

大陸諸国との外交力の差なども、このあたりに、その起源を伺えるような気もする。

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