幕末の人斬り稼業

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前回、幕末の剣客達について書いたので、ついでに「幕末の人斬り稼業」について、書いておきたい。

若い頃に、三島由紀夫主演の「人斬り」という映画を観た。

薩摩の田中新兵衛を三島由紀夫が、土佐の岡田以蔵を勝新太郎が、演じていた。
この田中新兵衛や、岡田以蔵は、幕末を代表する人斬り屋で、その他にも数人の同業者がいる。

きょうは、その辺の事を書いてみたい。

☆☆
倒幕側の人物
幕末四大人斬りは、江戸時代末期に暗躍した次に述べる4人を総称して言う。いずれも倒幕側の人物であるが、田中新兵衛を除いて三大人斬りと呼ばれる場合も多い。
司馬遼太郎の「十一番目の志士」に登場する長州藩・天堂晋助は、架空の人物である。

1.土佐藩・岡田以蔵(1838-1865)
武市半平太に師事し、剣術を学ぶ。武市は教養の無い以蔵を、ただ単に暗殺の道具として使ったと思われる。

天誅と称して多くの暗殺を手掛け、世間からは「人斬り以蔵」と呼ばれ恐れられた。

尊王攘夷・倒幕を、旨とする土佐勤王党に属しながら、開国派・幕臣の勝海舟らの護衛を行ったこともあり、剣術こそ強いが、思想・信条を持たぬ者として軽蔑された。

1864年6月幕吏に捕えられ、遂に全てを白状し1965年5月11日に打ち首となった。


2.肥後藩・川上彦斎(1834―1872)
尊王攘夷派の熊本藩士。
30歳の時、熊本藩親兵選抜で宮部鼎蔵らと同格の幹部に推されている。

彦斎が斬った人物で確実なのは公武合体派で開国論者の重鎮であった佐久間象山だけで、後はいつ誰を何人斬ったかは明確に伝わっていない。

維新後、開国政策へと走る新政府は、あくまでも攘夷を掲げる彦斎を恐れた。

二卿事件への関与、参議広沢真臣暗殺の疑いをかけられ明治4年12月斬首。
(我が母校・桜山中学の裏の桜山神社に仮墓がある)


3、薩摩藩・中村半次郎(1838-1877)
名を改めて桐野利秋。幕末の薩摩藩士。明治初期の軍人。
初め中村半次郎と称した。

剣術は、示現流とも我流とも言われるが達人の域。漢語が理解できなかったものの、読み書きに十分な教養があった。

1862年、島津久光に随って上京。
諸国の志士達と交際し、家老・小松帯刀ら藩の重臣から重用されるようになった。

西郷と勝海舟との会談を護衛。
会津藩降伏後の開城の式では、官軍を代表して城の受け取り役を務めた。

明治新政府では陸軍少将に昇進したが、征韓論政変で辞職。
西南戦争に西郷隆盛を助けて戦い、城山に自刃。享年40.


4.薩摩藩・田中新兵衛(1832-1863)
薩摩藩では私領士という陪臣の身分。
剣術に優れていたというが流派は不明。

土佐藩の岡田以蔵などと共に、多くの暗殺に関わった。
文久3年の朔平門外の変で姉小路公知が暗殺された際、現場に新兵衛の愛刀が残されていたことにより捕縛されたが、尋問の隙をついて自刃した為、真相は闇の中となった。


幕府側の人物、新選組
新撰組は、会津藩預かりとは言うものの、その粛清は苛烈を極めた。
組内部の抗争も激しく、幹部の中でも局中法度違反という罪で伊東甲子太郎、山南敬助、武田観柳斎、藤堂平助、河合耆三郎・・等、相当数の犠牲者が出ている。
近藤勇、土方歳三、沖田総司はあまりにメジャーに過ぎる為、次の3名の隊士について書く。

永倉新八(1839-1915)
1865年松前藩を脱藩。天然理心流の近藤勇の食客となる。
新撰組では、二番隊組長や撃剣師範を務めた。

油小路事件では、伊東甲子太郎が結成した御陵衛士の粛清に当たった。

鳥羽伏見の戦いで新政府軍に敗れた後、近藤らとは袂を分かち、江戸に帰還し松前藩士として帰参が認められた。

明治6年家督を相続し小樽へ移住。監獄の剣術師範、や東京牛込で剣術道場を開くなどしたが、最後は大正4年小樽にて病死。享年77。


斎藤一(1844-1915)
一般的に新撰組幹部で一番若いと思われているのは沖田総司であるが、最年少は斎藤一である。

新撰組では、三番隊組長や撃剣師範を務めた。
伊東甲子太郎が御陵衛士を結成して新撰組を離脱した際は、間諜としてこれに潜入し、新撰組へ油小路事件につながる情報提供をしたとも言われている。

会津藩が降伏したあとも斎藤は戦い続けたが、容保が派遣した使者の説得を受け入れて新政府に投降した。

降伏後は会津藩士とともに謹慎生活を送った。
その後、新たに募集された警視官に応募。西南戦争で天才的な剣技と指揮力で薩摩兵を圧倒。新聞に報道されるほどの活躍をしている。

大正4年胃潰瘍により死去。享年72。


鈴木三樹三郎(1837-1919)
伊東甲子太郎の実弟で、新撰組九番隊組長を務めたが、伊東甲子太郎が御陵衛士盟主となり、油小路事件で斬られた際、新撰組との乱闘を切り抜けて薩摩藩邸に保護された。

鳥羽伏見の戦いでは、中村半次郎の指揮下に入って新撰組と戦い、後に東征軍の先鋒隊に合流した。
明治以降は鶴岡警察署長として行幸の指揮を執っている。大正8年老衰のため死去。享年83。


☆☆
我が国の歴史には光もあれば陰もある。幕末は新たな時代の夜明けであると共に、凄惨を極めた権力闘争の場でもあったのだ。

それにしても。
今まで、これらの事は、遥か昔の出来事、歴史教科書上の話、と思っていたが、考えてみれば、それ程かけ離れた時代ではない事に驚かされる。

血生臭い、命の遣り取りをした剣客達。その中で永倉新八や斎藤一は、大正4年まで生存していたし、鈴木三樹三郎に至っては、大正8年まで生存していた。

私の父は明治33年生まれであったから、ほぼ20年近く、彼らと同じ空の下で同じ空気を吸っていた事になる。

歴史とは、我々とかけ離れた対岸の火事ではなく、連綿と続く歴史の上に現代の生活があるという事を、改めて実感するのである。

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蛇足ながら、ついでに。
中学2年生の多感な頃、社会科の教科の影響で、友人と学校の裏山へ古代人の石斧を探しに行った事がある。

如何にもそれらしい石を見つけた時、「ひょっとすると、この石斧で何千年・何万年前の古代人が獣を捌いていたかも知れない」等と想像し、何か体中で鳥肌が立った記憶がある。

歴史と現代の間に何らかの接点を見出し、これに触れた瞬間、”歴史は面白い”と心から思う。

「歴史とは、我々とかけ離れた対岸にあるものではなく、歴史の積み重ねの上に現代の生活がある」という事を肌で感じ取るからだろう。
これこそが、歴史の醍醐味、歴史のロマンと言って良いのではないだろうか。

この記事へのコメント

2019年07月25日 22:51
 新選組の小説など読むと、色々出てきますね。それから映画などもいろいろありますね。若い人向けには「るろうに剣心」なども人気ですね。これは討幕派の方の人切り抜刀斎というひとのハナシですね。
2019年07月26日 06:49
おはようございます。歴史はとても興味があります。
私の実家の付近でも貝が平といって、沢山アンモナイトが出てくる山がありま
す。夢とロマンですね。
2019年07月26日 08:18
こんにちは

人斬り、私も何度も観ましたよ。
好きな映画です。
2019年07月26日 14:18
こんにちは。いつもありがとうございます。コメントいただいてお返事をかかせていただいたのに、反映されていませんが、お読み頂ければ幸いです。
ブログの記事とは関係なくすみません。
2019年07月26日 14:49
昨日だったでしょうか、「新選組血風録」をテレビでやっていました。
京都へ行くと、壬生の屯所跡とか柱の刀傷とか見れるのでしょうね。
「新選組」に関しては、いろいろな映画やドラマで扱われているので、
興味のある人は、多いですよね。
「るろうに剣心」は、一度だけ観ました。若者に人気のようですね。

2019年07月26日 14:50
女性で歴史好きの人は増えているようで、歴女とか言いますよね。
貝が平山からは、アンモナイトが出たんですか。
あの辺りは、何億年も前の地層なんですかねえ。
2019年07月26日 14:51
映画「人斬り」は、随分昔でしたが、三島由紀夫が出演するというので、ワクワクして観に行きました。
三島由紀夫の最初のセリフは、飲み屋から出てくる岡田以蔵に対して、「どちらへ?」という一言だったように記憶しています。かなり嬉々として演じていたように思います。
田中新兵衛は、裁きの場で、自ら腹を切って死にますが、その役柄が気に入っていたのでしょうね。