「つぎはぎ仏教入門(呉智英著:ちくま文庫)」

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シニアカレッジの世界史の先生に勧められて読んだ本です。
著者は、1946年生まれで、マンガ評論、知識人論などの分野で執筆活動をしています。

この本は、著者が過去に読んだ本やら、得た知識やらを繋ぎ合わせて書いた仏教入門ですが、
仏教の歴史、教義の解説、仏教の問題点など幅広く論を展開しています。

曰く。
「自分は仏教を含むいかなる宗教も信じてはいない。ただ宗教の文化的・社会的意義を認めている」と。

読み進むに従って、著者の仏教に対する理解の深さ・広さに圧倒されますが、私の理解し得る範囲で、記憶にあるところをメモしておきましょう。

以下、「つぎはぎ仏教」の、「つぎはぎメモ」です。


仏教の教義
仏教は本来極めて理知的な宗教であって、教義が神話によって構成されている部分が少ない。

人間は「有限」「相対」「不完全」なものである。衆生は、有限の存在であることに不安を感じ、無限の存在に憧れている。それを仏教は、「執着」「妄執」として否定する。

我に執着することが、煩悩を生む。それが、さまざまな束縛を生じさせる。その無明を消し去るのが智であり、「悟り」である。ここに「」という概念が出て来る。

釈迦は、家族が「悟り」の妨げになるとして、両親・妻・子供を捨てた。

現世利益か常識的な人生訓を求める人達は、この釈迦の非凡のエゴイストぶりに目を背けるだろう。

釈迦入滅後、釈迦個人の持つ宗教的魅力に頼ることが出来なくなると、こうした衆生の要求に応えなくては仏教が存立できなくなる。

こうして様々な俗信、伝統儀礼、ヒンドゥー教の諸神などが、仏教と習合し、密教が成立していった。

家族を愛する庶民感情と仏教教理との相克・葛藤は、仏教発祥の地において既にあり、志那など「」を尊ぶ儒教影響下の北東アジアに伝来していっそう深刻であった。


仏教の変容
・釈迦が説いた教えが仏教である。
・釈迦が教えを説いた時は、仏像も経典もなかった。

・仏教は、釈迦の入滅後、小乗と大乗に分裂し、変容に変容を重ねた。
・小乗仏教=自らの悟り
・大乗仏教=衆生を救う

・小乗仏教の方が釈迦の本心に近く、小乗仏教は、釈迦一仏論である。
・大乗仏教では、いくつもの経典を創作し、いくつもの仏を考案した。

・大乗仏教の仏には、3種類ある。
・①本来の仏、②インド神話に登場する神々、③仏を目指す未完成の存在。

・大乗仏教は釈迦の説いたものではない。
・諸仏も釈迦のあずかり知らぬものである。
・小乗は一仏論であり、諸仏諸神が登場する密教は、最も遠い存在である。

・大乗仏教は、志那・朝鮮を経由して日本に入り。
・多くの宗派のそれぞれの祖師たちが、更に身勝手に仏教を解釈した。
・これらの偽教が、何の根拠もなく仏教と思われている。

仏教の弱点
仏教は、資本主義と相性が悪い。
仏教は、欲望を否定し欲望からの脱却を説くもので、富の蓄積を目指す資本主義とは、基本的に相いれない。

仏教は、女を否定的な存在か、せいぜい副次的・補助的な存在として扱う。
仏教は、基本的に女を悟りの妨げになる存在と考えている。

現在の仏教界について
日本の仏教は、今世紀半ばには現在の9割が消滅するという社会学者がいる。
・人口の流動化が進み檀家を離脱する人が多く信徒数が急減。
・葬式や法要に対する意識が変わり、僧侶抜きの葬儀も珍しくない。
・寺の子弟が金儲け出世を望み、後継者難となっている。

現在、日本の仏教界では、こういった事情で寺院の経営が非常に厳しくなっている。

1868年の「神仏分離令」に端を発した明治初期の「廃仏毀釈」は、仏教の腐敗、堕落、因習への民衆の怒りが背景にあった。

浄土真宗では、祖師親鸞の血を引く法主が入浴した残り湯を門徒たちがありがたく飲むし、日蓮宗では法華経を絶対視しこれを中心に国を建てる「立正安国論」を根本経典にしている。

オウム真理教は、仏教にヒンデゥー教やキリスト教をごたまぜにした教義を作っていたが、事件当時、宗教界は大混乱に陥り、きちんとこれに対処出来なかった。

著者は、追い詰められた仏教にとって、「教理の原理的検討」こそ、今なすべきことであると言う。
宗教を論じることは、翻って我々の立脚点を考え直すことである。

★★★☆☆(星3.2、仏教の大まかな理解は出来ますが、詳細は難しい)

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